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霊媒(メディウム)としてのメディアアート - Shrine Fish JLG & Shrine Fish Lumière -

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はじめに

 この投稿は、2015年1月23 日金曜日、24日土曜日にパリ日本文会館で行われたシンポジウム&展覧会「時のうつわ、魂のうつし Berceau du temps, Passage des âmes / 輪廻転生モデルによる文化伝播Transmission culturelle selon le modèle de la métempsychose / あるいは、モノに宿る魂 ou comment les âmes habitent dans les choses」で発表したものです。

https://www.facebook.com/utsuwautsushi


メディアの霊性

 私は映像作家であると同時に大学で映像やアニメーションを教える教師でもあります。ですから、しばしば映像の歴史について学生と話す機会を持ちます。

 映像の歴史をどこから始めるかは研究者によって意見が分かれるところですが、19世紀初頭にニエプス(Joseph Nicéphore Niépce)やダゲール(Louis Jacques Mandé Daguerr)によって発明された写真術と、19世紀後半の動画像を拡大投影するレイノー(Charles-Émile Reynaud)のテアトル・オプティーク(Théâtre Optique)が合わさり、リュミエール兄弟(Auguste Marie Louis and Louis Jean Lumière)のシネマトグラフとなって、1895年、パリのグラン・カフェで一般公開されるに至ったとのストーリーは概ね共有されているのではないでしょうか。

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 19世紀の中頃になると日本にも写真術が入ってきます。当時は江戸時代の終わりです。アメリカのペリー艦隊に同行していたエリファレット・ブラウンという写真技師が、役人を撮ったのが最初だと言われています。しかし当時は、写真術は物珍しさに加えて禍々しい霊的なものとして受けとられていました。「写真に写ると魂を抜かれる」と多くの人が信じていたのです。

 また、ごく最近(私が幼かった頃1970年代)までは、「三人で写真に写ってはいけない」と老人から注意されたものです。中央に写っている人物が早死にすると信じられていたからです。街の写真館には人形が備えられていて、三人で写真を撮る場合には中央の人物に人形を抱かせ便宜上四人ということにして写真を撮ったという逸話も残っています。

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写真:あらた工房



 最新のメディア技術が霊的なものとして扱われる現象はその後も途絶えることはなく、遠く離れた場所の声を運んでくるラジオや電話は、あたかも霊媒師のごとく大切に扱われ家の一番良い所に置かれるものもありました。ラジオは神棚、電話機は玄関の調度品置き場に置かれたりもしました。

 時代が下っても事情は変わらず、インターネットの黎明期には、「ピーガー」というノイズを発しながらプロバイダに接続するモデムを、シャーマンが儀式で使う神秘的な道具に喩える人々も現れました。

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写真:日本ラジオ博物館


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写真:www.citykobe.jp


モデム 始めて買ったモデムはオムロン製アナログモデムME5614D


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霊性のコンテンツ

 これらの感覚は、ハードウエアに対してのみならずコンテンツ制作や表現の中でも同じです。妖怪漫画で有名な水木しげるにはテレビの中に自由に出入りできる不思議な少年を主人公にした『テレビくん』という作品があります。

 近年ハリウッドでリメイクされた恐怖映画『リング』の主人公・貞子は呪いのビデオテープ”で人を殺します。

 欧米でも良く知られている押井守の『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』の登場人物たちは、身体も脳も機械化されたサイボーグで記憶や意識までもがデータ化されていますが、彼らの中には魂GHOSTが在るという設定になっています。さらに、主人公の草薙素子という警察官は、映画の最終場面で脳も身体も捨ててしまい、純粋なデータとなってネットワークに浮かぶデータの海に習合してしまいます。

 本邦ではこうした感受性がいたるところで生きていますが、フランスではいかがでしょうか。

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『映画史』と『工場の出口』

 1992年、日本の衛星放送局がゴダールの『映画史(Histoire(s) du cinéma)』の1Aと2Aを深夜に放送しましたが、私はこの作品をテレビ(当時は、アスペクト比4:3のブラウン管式カラーテレビ受像器)で観ることに違和感を感じました。

 ゴダール自身はと言うと、もともとビデオ作品として作ったこの作品がビデオから再びフィルムにプリントされカンヌの大スクリーンに映し出されたのを観て「なぜエレクトロ方式で直接に劇場の大スクリーンに上映しないのか」と言ったそうです。私にとってはこれもまたテレビと同様に違和感のある見方に思えました。ソースがビデオかフィルムか、あるいは投影のための機材がフィルム映写機かビデオプロジェクターなのか、さらに投影ではなくテレビジョンによる放送かの違いは、私にとっては重要なことではなかったのです。当時はまだ、私自身、何が引っかかっているのか分かりませんでした。

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ゴダールとメディア copy

 『映画史』は、1998年に今度は『1Aすべての歴史(1A Toutes les histoires)』から『4B 徴(しるし)は至る所に(4B Les signes parmi nous)』までの8つの全ての章が放送されました。

 また、2000年には京都の映画館が、ゴダールが望んだエレクトロ方式で直接に劇場の大スクリーンに上映したこともありました。しかしいずれも、私にはピンと来ませんでした。

 ところが最近になって『映画史』を観るのに相応しい場所が見つかりました。それは、社(Yashiro = Shrine)です。社は、屋代から来ているとも言われ、神仏や霊の依り代となる器のことです。姿形がみえない神々をお迎えしてその場にとどまっていただき、それ(ら)を礼拝する場所や建物のことです。

 ゴダールの『映画史』には、全部で8つの章がありますが、これらはいずれも既存の映画をフィルムからビデオに移し、ビデオの編集システムを使って切り貼りし再構成したものです。オリジナル部分と言えば、ゴダール本人が登場する場面、ナレーションや画面に挿入される詩的な文字ぐらいです。本作では、監督はクリエイターではなくシャーマンと言って良いでしょう。『映画史』はゴダールという霊媒師によって勧請せしめられた映画の霊の習合体です。ですから、社こそこの作品に相応しい場所だと言えるでしょう。

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 同様に、リュミエール兄弟による『工場の出口(La Sortie de l'usine Lumière à Lyon)』もまた社で観るに相応しい作品だと言えるでしょう。当時、彼らはリヨンで経営していた工場で義手や義足、写真材料の製造を行っていましたが、肖像画家から写真館の主となった父アントワーヌの勧めでエジソンのキネトスコープを改良してシネマトグラフを開発します。その最初の被写体となったのが、彼らの工場から出てくる従業員たちでした。

 この世界初の映画は、1895年12月28日にパリのグラン・カフェ地階にあったサロン・ナンディアン(現ホテル・スクリーブ・パリ)で有料公開されました。

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 それから120年余りが経ちますが、この世界最初の映画はフィルム・ビデオ・LDやDVDなどの光学ディスク・インターネットなどあまたの媒体に移し写され、今なお増殖を続けています。いったいどれくらい、世界最初の映画が世界中を彷徨っているのでしょうか。

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 また、『工場の出口』には3つのヴァージョンがあることが分かっています。世界最初の映画が3種類あるというのも変な話しですが、最初のヴァージョンが作られた後に2本め3本めが再制作されたとのことです。私はその経緯を知りませんが、これら全ての『工場の出口』を習合してお祀りする社を作る必要があるでしょう。




 ジャン=リュック・ゴダールの『映画史』とリュミエール兄弟の『工場の出口』、これらは共に映画の霊に関する作品です。したがって、社にお祀りして鑑賞(と言うよりも礼拝)することにしたいと思います。今回は、輸送や展示場所の都合からコンパクトなモバイル仕様の社(厨子)に、これら二作品をお納めして展示することにしました。

 また、これらの作品を厨子に勧請するために金魚のGHOSTにも一役買ってもらうことにしました。金魚は、自然の写し間違えで突然変異し赤くなった鮒を、人が写して移して作り出した人工の魚です。人の手によって写し映され移される映像と金魚は似ています。今回お祀りした二本の映画の触媒となって、ユニークなメディア・アートになってくれることを期待します。

 ところで、この金魚の映像の被写体となった2匹の金魚は既にこの世には居ません。私の不注意で死なせてしまい、京都を流れる鴨川(セーヌ川みたいなものです)に流してしまいました。ですから、今は撮影時の映像(GHOST)がオリジナルとして残るのみです。
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 さて、ここまで宗教圏で使われる言葉と芸術圏で使われる言葉をごちゃ混ぜにして自分の作品を説明してきました。コンテンポラリーなアートの文脈では、これらを混線させるのは良くないこととされているようですが、メディア・アートという領域の潜在力を考えるにあたって、今回はあえてこの様なアプローチで考えてみたいと思います。なぜなら、メディア(メディウム)という言葉は、マスコミや記録媒体を指す言葉になる前は霊媒という意味だったからです。

パリ日本文化会館
2015.1.23
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プロフィール

大西宏志 / Hiroshi ONISHI

Author:大西宏志 / Hiroshi ONISHI
大西宏志

1965年生まれ。映像作家。京都造形芸術大学情報デザイン学科教授。映像プロダクション、CGプロダクションのディレクターを経て2002年より現職。ASIFA-JAPAN(国際アニメーションフィルム協会日本支部)理事、比較文明学会会員、モノ学・感覚価値研究会アート分科会幹事。
www.onihiro.net

ONISHI Hiroshi

Born in 1965. Intermedia Artist. Currently a professor at Department of Design, Kyoto University of Art and Design. Took the position of image production and CG production director in 2002 until now. A member of ASIFA-JAPAN (Association Internationale du Film d’Animation - Japanese branch) and MONO-sophy (monogaku) /Sense-Value Study Group.
www.onihiro.net

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